東京・千住まちかどブログ 千住ゆかりの人たち

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千住ゆかりの人たち~その6 森鷗外と大正記念道碑~

「大正道路」の開通を記念して設置された「大正記念道碑」の文章は、森鴎外によって書かれたものです。

大川町氷川神社前から墨堤通り(旧昭和自動車学校、現帝京科学大学グランド)まで南北に走る道路は「大正道路」と呼ばれ、延長1052Mに及ぶ道です。これは、荒川放水路の完成によって不用となった「西掃部堀」を埋めて造成し、大正5年(1916)11月に完成したものです。
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この道路の完成を記念して「大正記念道碑」が設置されました。その撰文は、千住に縁のあった森鷗外に依頼されました。
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当初、大正記念道碑は大正道路と墨堤通りとの交差点にありました。しかし、近くの樹木が育ちすぎ、礎石をゆさぶり出してきたことなどから、今月、足立区役所の支援の下、地元有志によって「千住中居町公園」(千住中居町24-7)に移設されました。
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4月27日、その移設完成記念の式典が行われました。
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千住ゆかりの人たち~その5 「千住の巣兆」展~

11月1日から5日まで開催されている「千住の巣兆」展に行ってきました。
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建部巣兆(たけべそうちょう)(1761~1814)は日本橋に生まれ、長じて千住河原町の藤沢家に養子に入りました。やがて、関屋の里に隠棲し、俳諧と画に興じる生活を送った文化人です。

千住宿は宿場町だけでなく、農産物や海産物の物流の拠点として繁栄していました。商家の多くはその経済力をバックに、当代一流の文化人のパトロンになっていたそうです。建部巣兆は、文化人の代表格の一人です。

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「千住の巣兆」展では、71点の書画などが展示されています。その大部分は千住在住の個人所有の作品ですが、これだけ多くの作品を一堂に見られるのは初めてではないかと思います。

◎期間・・・11月1日~5日
◎会場・・・シアター1010ギャラリー(北千住駅西口前のマルイ11階)
◎入場無料

千住ゆかりの人たち~その4 5月16日は芭蕉旅立ちの日です~

5月16日(旧暦3月27日)は、芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出立した日です。

その日、足立区観光交流協会主催の「江戸東京芭蕉祭~おくのほそ道追体験クルージング」に参加しました。おくのほそ道に旅立った芭蕉をしのびながら、追体験しようというイベントです。
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芭蕉は、当時深川に住んでいました。その住居跡は、現在「芭蕉稲荷神社」(江東区常盤1-3)になっています。参加者全員でお参りしました。
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芭蕉は、5月16日(旧暦3月27日)早朝、住まいのあった深川から船で隅田川をさかのぼったそうです。私たちは、深川から屋形舟で千住に向かいました。
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芭蕉は千住大橋付近で上陸しました。午前10時過ぎになっていました。上陸後、深川から一緒に船に乗って千住まで見送りにきてくれた大勢のお弟子さん達との別れを惜しんだそうです。

その時の別れの句が、「行春や鳥啼魚の目は泪」(春はもう逝こうとしている。去り行く春の愁いは無心な鳥や魚まで感ずるとみえ、鳥は悲しげになき、魚の目は涙があふれているようである)です。「是を矢立の初めとして」(これを旅の句の描き初めとして)、行脚の第一歩を踏み出したのです。

大橋公園(千住橋戸町千住大橋手前)には、矢立初めの地の記念碑が設置されています。

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私たち参加者は、千住に上陸後、ガイドさんの説明を聞きながら、千住宿の名所・史跡をめぐりました。

*千住の歴史やゆかりのある文化人については、こちらもご覧ください

千住ゆかりの人たち~その3 奥の細道・芭蕉旅立ちの地~

多くの旅人が江戸と別れて千住宿から旅立ったそうです。松尾芭蕉もその一人です。

松尾芭蕉は1689年、門人曾良を伴って深川から隅田川を船でさかのぼり、千住大橋のあたりで降りました。大勢の門人が見送る中、陸奥に旅立っていきました。

5年後に刊行された「奥の細道」では、「千じゅと云所にて船をあがれば・・・・、行春や鳥啼魚の目は泪」と千住での情景が記されています。

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千住大橋公園にある石碑


1974年10月の芭蕉忌に、足立区によって千住大橋近くの「千住大橋公園」に、「奥の細道矢立て初めの地」の石碑が建てられました。

また、奥の細道300年のイベントがあった1989年、同公園にライオンズクラブの基金で奥の細道行程図の案内板が設置されました。

是非一度この地に立って、これから遠い地に旅立とうとする芭蕉の心境を想像してみてはいかがですか。

千住ゆかりの人たち~その2 尾形光琳の流れを汲む村越父子~

ほとんどの方は、江戸時代中期に活躍した「尾形光琳」と、その画派である「光琳派」という名を聞いたことがあるのではないでしょうか。

その系譜に連なる「村越其栄」「村越向栄」父子の展覧会が本日まで、足立区立郷土博物館で行われました。きっかけは、平成21年に千住仲町の渋谷家から足立区に、村越向栄筆の屏風が寄贈されたことだそうです。
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次の作品は、千住仲町の石出家から足立区に寄贈された村越向栄筆の「四季草花人物図屏風」です。
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村越父子は、幕末から明治にかけて、千住の地で活躍しました。特に、息子の向栄は、経済的に豊かな千住の旦那衆との交流が深かったようで、「千住光栄会」「千住与楽会」といった倶楽部があったそうです。

また、父親の其栄は幕末に千住河原町で寺子屋を開き、明治になってからは後を継いだ向栄が「私立村越小学校」として、2代に渡って70年間、千住の子ども達の教育に当たりました。

村越父子は、文化人としてだけでなく、教育者としても、地域に貢献された「功労者」であるのですね。

* 足立区立郷土博物館のホームページは、こちらをご覧ください
  

千住ゆかりの人たち~その1 森鷗外の旧居跡~

明治の文豪、森鷗外が千住に住んでいたことは、あまり知られていない。

鷗外の父、静男が千住に居を構えたのは、明治11年。そして、明治14年に医院を開業し、明治25年に本郷に転居するまでの11年間、千住宿の町医者であったそうです。

鷗外は19歳で東京大学医学部卒業後、勤務先の陸軍病院まで千住から通いました。明治17年ドイツ留学までの4年間、千住で過ごしたのです。

旧居跡は足立区千住1丁目30番で、現在は東京都の都税事務所になっています。地元有志による石碑も建立されています。
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Author:千住げんき
千住は、下町情緒と都会の雰囲気がごちゃまぜなところがおもしろい街です。結婚してすぐ千住に住んで30年、年々暮らしやすい街だと感じています。
千住の魅力を紹介したサイト「いいとこ千住~魅力再発見~」も見てください。

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